はじめに-外角低めストレート
進むべき方向性がわからなくなったときに、原点に戻って考えるという手法がとられることがある。例えば、野球において投手が何を投げればわからなくなったときは、外角低めのストレートを投げることを戦後初の三冠王である野村克也さんが語っていた。なぜ外角低めのストレートが原点なのかは不明だが、困ったら原点に戻るという考え方には私もならいたい。
私は今後どうやって生きていくかということに最近関心を持ち始めている。それは誰もが関心あることだと思うが、私の場合きっかけは今の生活を今後も続けられるのか想像できないからであった。私は大卒以降ITエンジニアのサラリーマンとして収入を得て日々暮らしている。
サラリーマンの生活は始めた当初は業務に慣れなかったこともあり社会の厳しさを痛感していたが、30歳になるころには慣れてきて、今後について考える時間も生まれてきた。そこで考えたことはこれからは会社に頼らず自分自身の力で稼ぐ必要があるということであった。
誰かが決めたプロセス
なぜほとんどの人はサラリーマンをしているのかというと、それが当然だからといえばそうなのだが、毎月安定した収入を得る方法を多くの人がサラリーマンになる以外に思いつかないからではないか。例えば、農業中心の時代であれば家族が運営する農業を引き継ぐ以外の選択肢はほぼなかったと考えられるし、その時代にあった仕事に就くのが世間では当然のように思いこんでいる。
そして私も時代の流れに乗って、大学まで進学し、卒業してからは企業に就職し、誰が考えたのかわからないレールに敷かれたプロセスをこれまで歩んできた。しかし、大学まで進学してその後企業に就職するというプロセスに疑問を感じるようになり、これ以外の選択肢は本当にないのかと問いたい。
もちろんこのプロセスによって安定した収入を得て、運命の人にも巡り合えて、家族ができ、幸せを感じている人もおり、少なくとも私の周囲にはその恩恵を受けている人がいるように見える。そして私もどちらかというと恩恵に受けた人だと思うのだが、もう少し自分にあったプロセスがあるのではないかと思っている。
例えば、大学まで学んできたことと就職してから社会に必要なスキルは全く違うと感じており、それであれば社会で生きていくスキルをはじめから学んでおけばいいのではないか。多くの人は社会で生きていく時間が多く占めるのに、それを意識した教育は私自身は記憶が全くなく、私が大学3年生終わりになって周囲が就職活動を始めたところで自分も社会を意識することになったが、そこでは自力で頑張らなければならない世界であることを痛感した。
学校の授業は時間になれば始まって、与えられた課題をこなしていれば次に進めるシステムであったが、社会はそうでなかった。自分から動かなければ何も始まらず、気づけば自分だけが取り残される厳しい世界であった。社会とは自分で動かなければ始まらない世界であることをなぜ誰も教えてくれなかったのかとつくづく思う。
サラリーマン方式の仕組み
働くようになってから今度はサラリーマンの仕組みを知るようになる。会社が考えた稼ぐシステムがうまくまわるように、役割分担ごとに従業員に適切に配置され、従業員はその役割を果たすことで、給料を得られるというのがサラリーマンのシステムである。
確かに会社は資本を所有し、その資本を利用して利益を生み出すことができる一方で、個人は資本もあまりなく、取引先も存在せず、提供できるサービスは労働力のみであることが一般的であろう。そのため、会社の力を借りて、労働力を提供する代わりに会社に稼いでもらって、その対価に賃金を得るというサラリーマン方式を多くの人は選んでいるということである。
私はこのサラリーマン方式に限界を感じ始めている。理由として現在の職場は居心地の良さをあまり感じておらず、今後もこの状況が続くあるいは悪化すると考えられるからだ。また、現代で転職は一般的になってきたが、転職するモチベーションもなく、転職できたとしても転職先の環境が改善される保証はないと考えている。
私は好きで働いておらず、生きるために働いているのであって、働くこと自体に愛着はなく、もっと楽に稼げる仕事があれば楽なほうに流されたいというのが根本的な考え方である。働くことにネガティブであることが出発点としてあるが、かといって現在の仕事を辞めて生活保護のような社会システムで生きていく覚悟もなく、中途半端に惰性で生きていた。
サラリーマン方式に向いている人は向上心があって、出世を目指すタイプの人だろう。出世するほど安定したポジションを手に入れることができ、給料も増えて安定した生活が約束されるだろう。しかし、出世競争に負ける人や出世することに興味がない私みたいな落ちこぼれにとっては歳をとればとるほど居場所がなくなり、会社のお荷物となって、誰もやりたがらないような仕事を押し付けられて、消えていくという未来が容易に想像ついてしまう。
そのため、出世できない人は今のうちに今後出世する以外にどう生きていくのか考えたほうがよくて、時期は早い方がいいと考えている。
サラリーマン以外の選択肢
サラリーマン以外で一般人が金を稼ぐ方法は何かないのか。思いつくのは株のような金融投資であるが私の理解では投資は10年20年といった長期的な資金形成であり、本業で(あるいは副業としても)投資をするものではないと考えている。世の中には投資の利益だけで暮らしている人もいるようだが、私にはできそうにない。
投資をするためには投資するためのお金が必要で、何年もかけて自分の生活を切り詰めてそのお金を準備する必要があり、さらに投資自体がうまくいく保証はどこにもない。その中で彼らは絶対にうまくいくと信じて、よくわからない金融商品を買って、価格が上がることに喜びを感じ、その高揚感をモチベーションに生きているように見える。
実際にそれで成功している人がいるので、ただのひがみにしか見えないのは承知しているが、お金を持っていることに価値があり、評価される世界というのは少しさびしい。話はそれるが、お金以外で評価できる指標がもう少しほしいと思う。最近ではSNSのフォロワー数やインプレッション数、再生数というものも価値がつき始めたが、それらも私はしっくり来ていない。数字で測れないような、もう少し温かみのある物語性のようなものが欲しいと思っている。
話を戻すと、つまりは世の中に紹介されている方法以外で新しく価値を創出できないかと思っている。例えばBitcoinのような仮想通貨はそれ自体全く価値を持たなかったものが、全世界に広がり始めると価値がつき始め、総額250兆円ほどの価格がついている。Bitcoinは極端な話であり、まして私のような一般人がBitcoinのようなアイデアを作れる可能性はないが、その気持ちを持つことはすべての人にとって大事だと考えている。
なぜなら何に価値を感じるのかは1人1人違っており、価値を感じることに時間を使うことが本人にとって最重要事項だからである。
新たな取り組み
理想論を語ったところで何も始まらないので、まずは現実的にできるところを進めたい。まずは副業から始めたい。副業は理想論の実現に結びつくような事業がいいと考えている。私はITエンジニアとしてのキャリアを積んできたので、それを活かして、まずはWEB販売できるサイト(通販サイト)を構築して、自身のコンテンツを販売できるように現在構築中である。
通販サイトのプラットフォームはShopifyやBase等の多くのサービスが出回っているが、今回は自分で構築しようと考えている。それは私がITエンジニアという職業をしているからというのはあるが、まずは何でも自分でやってみようと考えている。何でもというのは会社経営でいうと、財務管理、マーケティング、営業、契約締結後の業務遂行など全部である。
しかし、一人の人間がしかも一般人が全部やるのは不可能だと昔なら思うかもしれないが、今の時代には便利なツールがある。その代表が生成AIだ。何か新しい取り組みをするときに生成AIに聞くことで何となく把握できてしまう。
しかし、万能でないことも理解しているつもりで、期待していた回答と違うなと思うと、そこからいくら補足しようが、ほしい回答にたどり着かなかったり、少し情報が古いのでどうしても最新情報は公式ホームページを確認する必要があるが、細かいところなので、まずは全体像が理解できるだけで十分である。
誰でも従える優秀なアシスタントを手に入れたことで一般人でも十分に戦える可能性がでてきて、私はチャンスだと考えている。これまで専門知識が必要であった分野も生成AIの登場により一般人がかじった知識でも何とかなるようになり、それを組み合わせていけば個人事業の展開は可能であると信じており、その証明をするために今後は個人のほうに力を入れていきたい考えている。
原点に戻る
ところで、本記事のタイトルは原点に戻るということであるが、今のところ原点に戻ったようなことは述べていない。実は上記の考えに至るまでのプロセスで原点に戻るという作業をしており、これまで全く関係のない話をしているわけではない。
もともとは今後どう生きていくかについて考えるところから話がスタートしたのだが、よくこういった系統は話が大きくなりすぎて結局何も結論が出ないままもやもやしたまま日々を過ごすということになりがちかと思う。そうならないように原点に戻るという作業をする必要があった。それでは原点に戻るというのはどのようなことなのか。
原点に戻るというのは宇宙の誕生まで遡ることである。それは全く身にならない答えのように見えるが、間違ってはいないと思う。ではもう少し具体的にいうと本人が原点だと思うところまで突き詰めることであり、絶対的な原点はないと考えている。
先ほどの宇宙の誕生まで遡ることという説明で1000万人いたら1人くらいは理解し、それが答えだという人もいるかもしれない。一方で、なぜなぜ分析を繰り返した結果で見つかる答えが原点だという人もいるかもしれない。冒頭の野球の話でどのコースに投げるか迷った時にインハイの早いストレートを投げるというのが原点という人がいるかもしれない。100人いれば100人の原点があるというのが私の答えである。そのため、まず自分にとっての原点が何かを探索することから始まる。
私の原点
参考までに、私にとっての原点に戻るというのは物事の誕生から現在に至るまでの歴史を知ることである。例えば人類の労働の歴史であれば狩猟採取時代から始まり農業中心の暮らしになり、やがて職業が多様化する時代へと広がる。私は狩猟採取時代の暮らしが人類の働き方の原点ではないかと考えている。
その時代は特定の土地に住み続けるのではなく、集団で移動しながらその土地にある果実や木のみを採取したり、獲物を狩猟したりして生活していた。調査によると当時の1日の労働時間は3~5時間程度で、現代の労働時間より少なかったという見方があるそうだ。そう考えると現代の1日8時間週40時間という働き方に適用できないという人がいても全然おかしくないと思っている。
この推察は一個人の考えであり、多くの人の理解を得ることはできないと思っている。遠い過去の話を持ち出したところで、昔と今は違うし、昔は石の武器を使って獲物を狩っていたいたといわれても想像つかないと思うかもしれない。しかし、私は昔の話にリアリティを感じるし、歴史の延長線上に今があると思うので、昔のことを知らずに今は語れないかと思っている。何回もいうがこれは一個人の意見である。
既存の価値観からの逸脱
そして、今度は私自身の原点に戻りたいと思う。私とは何であり、何に価値を感じて、何をしているのか。それを知るために歴史を知るということが私の原点に戻るという作業であったので、私の誕生から本日までの行動を観察してみた。そこには誰かが決めた価値観に従って行動していた私が映っているように見えた。
例えば、生まれ持った体格、身体能力、勉強、そしてお金・・・特定の指標を数値化して比較し、より上位にいることが望ましいとされている。1つでも価値があるとされる指標を高める競争が得意であれば恵まれている人である。問題はその競争が不得意な人やはじかれた人は生きづらい社会になっていることである。
大学まではテストの点数を取る競争をさせられ、社会人になってからは終わったかと思いきや、そこからが本番であり、会社で高い評価を得るための競争が定年まで繰り広げられるのである。それは今気づけば当然のことであるが、常に誰かが用意した指標を高める競争をさせられるのは私にとって苦痛であった。
そこでずっと暮らすくらいであれば今後は自分が選択した価値観の中で生きていくことにしたい。例え今持っている指標をなくしても自分の価値観で生きていったほうが私には居心地が良いと思うのである。しかし、今のところ私にとって意味のある指標が見つかっていないので、今後は見つけるたびに出たい。そのための第一歩が会社に依存せず自力で稼げるような人になることである。
