#18 ストア哲学とマルクスアウレリウス Part1

はじめに 波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ

最近私は西洋哲学の一種の派閥であるストア派の考え方を勉強している。ストア派の有名な人物として2世紀頃(西暦100年代)のローマ皇帝であったマルクス・アウレリウスがいる。彼はローマ帝国の最高権力者でありながら自らを戒める言葉をポエムのように記録しており、そこにはストア派の考え方が反映されている。その内容が後に『自省録』というタイトルで出版されている。例えば次のような言葉を残している。

波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ。岩は立っている、その周囲に水のうねりはしずかにやすらう。「なんて私は運が悪いんだろう、こんな目にあうとは!」否、その反対だ、むしろ「なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても、私はなお悲しみもせず、現在におしつぶされもせず、未来を恐れもしていない」である。

『自省録』第4巻49番より

上記は自分自身を岩に、自分に起きる出来事を波に例えた表現で、波が岩に向かってさらされる状況を不運でなく、幸運だと考える。なぜなら、厳しい状況でも岩は消えずに存在し続けることは並大抵のことではなく、立ち向かう強さがあることを知ることができたからだ。おそらく現代ではあまり受け入れにくい昭和的な考えで、我慢することが美徳のように解釈できるところもあるが、私はときには厳しい状況に耐え忍び、そしてそこから得た経験を人生の糧にしていくようなプロセスも大事だと考えている。

自省録には上記のような言葉をたくさん残しており、文章の行間がほぼなく書かれているため解釈が難しいところも多数あるが、全体的に共通しているのはマルクスアウレリウス自身の内面についてはありありと表現豊かに書いており、逆にその時の社会情勢といった外部の出来事がほとんど書かれていないことだ。これは、まさしくストア派の教えである自身の理性を善くすることに集中するということを体現しているように見えている。私は現代社会においてもこの考え方は通じると感じており、ネットニュースやSNS等で外部の情報がたくさん入ってくる中で、最も大事なのは自身の内なる声を聞き、正しく善く生きていくことだと考えている。今回はストア哲学について考えてみたいが、ストア哲学だけを調べてもなかなか要領がつかめないことに気づき、そもそも哲学という学問が何かということがわからなかったので簡単に哲学の歴史について調べ、哲学全体におけるストア哲学の立ち位置を確認したうえで、ストア哲学を考えてみたいと思う。

西洋哲学のはじまり

「万物の根源は水である。」これは西洋哲学の元祖とされる古代ギリシャの哲学者タレスの言葉とされている。哲学とは何かと言われるとこの言葉に集約されると考えている。すなわち、それまで常識と思い込んでいたものに対して疑問を投げかけ、論理的に説明できる答えをだすことである。

古代ギリシャでは自然現象が発生する原因を神話に求めていた。例えば雷はゼウスの怒り、火はプロメテウスから与えられた力、四季は豊穣の女神デメテルが娘ペルセポネと再会したり離れたりすることで訪れるといった神話によって説明されていた。しかし、この説明に疑問を投げかけ、神話でなく身の回りの物質から理論的に説明しようとしたのが哲学者タレスであり、タレスは全ての現象は水から発生するのではないかと考えた。当時の古代ギリシャはエジプトとの貿易をしており、自国とは異なる文明に触れたことで、事象が発生するメカニズムを神話的な説明から科学的な説明に転換しようとしたのではないかと推測されている。その結論が万物の根源は水であるという考えである。現代では学問が発達し、あらゆる自然現象は科学的に説明できるのでタレスの言葉に今となっては賛同する人はいないが、しかしタレスの言葉によって神話の物語という議論の余地がない説明から、水のような誰でも観察可能な物質によって実は全ての説明ができるかもしれないという可能性を提示したのである。ちなみに、なぜ水に着目したかというとあらゆる生命は水を帯びており、そして命がつきると水が渇くことから、水を含むというのは生命と結びついてると考えられたそうである。

タレスによって観察可能な物質から科学的・理論的に現象を解明しようとする試みは一種の学問になり誰でも自由にその学問を追求することができるようになった。この学問はタレスの少し後に活躍したピタゴラスによって哲学と呼ばれる(諸説あり)ようになり、古代ギリシャ語で「知恵を愛する」という意味のphilosophia(フィロソフィア)という言葉が語源という一説である。哲学はその後、ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった有名な哲学者によって発展し、現代でもその考えは多くの人によって支持されている学問となっている。現代では多くの学問が確立しており、物理、科学、生物、経済などの専門分野がたくさんできているが、古代ギリシャではこれら全てが哲学の一部であった。

ソクラテスの哲学

タレスから始まった哲学という学問は古代ギリシャの統治体制の変化とともに関心分野が大きく変わっていった。タレスは自然が何でできているかを科学的に追求し、タレスの弟子のアナクシマンドロスなどによって自然や世界の根源は何かということを追求することが初期の哲学であった。そして次に主流になってくるのはソフィストと呼ばれる人たちの思想であった。古代ギリシャではいくつもの都市国家が発展し、都市国家の一つであるアテナイでは民主主義による統治が進んだことで民衆に支持されることが正とされる考えが普及し、民衆に支持されるための弁論術などが人気を集めていった。一方で、その考えに危機感を持ったのがソクラテスである。

ソクラテスは無知の知と呼ばれる言葉で有名な哲学者で、ソフィストのような民衆を惹きつける話術でなく、何が本当に正しいのかという真理を深く追求していくような人物であった。ある日、デルポイの神託と呼ばれる神のお告げで「ソクラテスより知恵のあるものはいない」という言葉を授かったが、ソクラテスは疑問を感じ、その真実を確かめるべく、エリートとされる政治家や詩人、職人たちと対話を次々にしていく旅に出る。対話を通じて感じたことはエリートたちは知らないこともさも知っているかのように振る舞っていたが、問い詰めていくと彼らはうまく答えられず実は無知であることを知るのであった。そしてエリートたちの対話から一つの結論を出す。それはソクラテス自身は知恵があるわけではないが、知らないことを知っていることこそが他の人たちと比べて優れているということである。これが無知の知という言葉のエピソードとされている。

無知の知のエピソードに象徴されるように、ソクラテスは相手が誰であろうと忖度することはなく自分の考えを相手にぶつけて、何が真理であるのかはっきりさせていくような人物であった。もう1つソクラテスの性格を表すエピソードをあげると、ソクラテスが経験したアルギヌサイ海戦での出来事がある。アルギヌサイ海戦はソクラテスが属する都市国家アテナイと別の都市国家スパルタとの間で起きた海戦で、アテナイ軍は勝利したものの海戦により沈没した船舶や船員がまだ海に漂流していて海が荒れていたので将軍たちは船員を救出することができず、見捨てる形となってしまった。船員を救出できなかったという事実を知った民衆たちは怒り、海戦で指揮していた将軍8人を一括で処刑しようとする提案が熱狂した民衆たちによって発案された。たまたま評議会の議長を務めていたソクラテスは抵抗したが最終的に屈してしまい、結局将軍6人が処刑(2名は逃亡)されてしまうことになる。ソクラテスはこの裁判の結果に最後まで反対しており、素人の多数意見で決めることが正ではなく、大事なのは専門家(真の知識を持つもの)の判断に従うべきであるということを主張した。

ソクラテスの晩年は「若者を堕落させた」「国家の神々を信じない」という罪で告発され、裁判にかけられて死刑判決となり、自ら毒杯を飲み干し命を落とした。これは前に述べたソクラテスとの対話によって相手の反感を買ったことや、また力で市民を弾圧するような独裁政権(三十人政権)の時代がアテナイにあったがその政権の思想は実はソクラテスの思想がもとになっていたのではないかという憶測もあり、ソクラテスは濡れ衣に近い罪に問われたと考えられている。

ソクラテスの人生哲学として、人生で大切なのは富や名声や権威を手に入れることでなく、善く生きること(魂への配慮と呼ばれる)であると考えた。そして、善く生きるためには何が正しいのかを知ることであり、正しいことを知っていれば正しいことを実行するので善く生きることにつながる(知徳合一と呼ばれる)と考えた。逆に人が悪事を働くのは意志が弱いからでも、悪を選ぼうとしているからでもなく、何が本当に善いことなのかを知らないからだということである。私はこの考え方は基本的に賛成であるが、難しいのは何が正しくて何が悪なのかの見極めることである。民衆に支持されたことが必ずしも正ではないし、かといって自分で考えたことが正とも限らない。では何が正解なのかというと、明確な回答はないと思っており、あえていうとすると常に何が正しいのかということをソクラテスのように求め続けることだと私は考えている。

キュニコス派の実践的な哲学

ソクラテスについて確認してみたが、ストア哲学をより理解するにはソクラテスを知る必要があった。なぜならストア哲学はソクラテスの考えから派生した哲学だからである。ソクラテスの哲学とストア哲学は何が正しいのか真理を探求する姿勢は変わらないが、違いは実践方法が異なっている。ソクラテスは対話を通じて無知の知であること、つまり自分が知らないことを知ることを自覚することであった。一方、ストア哲学は対話ではなく人は宇宙の一部であり、自分がコントロールできることとできないことがあること(宇宙の大きさを考えると人間がコントロールできる領域はごくわずかであること)を知るということから始まる。ストア哲学には宇宙という概念が急に出てくるのだが、それはストア哲学の前にキュニコス派という思想があり、キュニコス派の自然に従って生きる行動に影響を受けている。

キュニコス派はソクラテスの弟子の1人であるアンティステネスが始まりとされる思想で、人間が作った慣習やルールから離れ、自然に即した生き方を理想としていた。ソクラテスの教えで大事なのは富や名声やプライドでなく魂への配慮、つまり心を善くして生きることということであったが、キュニコス派はこの考え方を行動で示すべく、富や名声やプライドを一切捨て去り今でいうホームレスのような生活をしていても幸福でいることができると考えていた。

キュニコス派の有名な哲学者でディオゲネスという人物がいた。ディオゲネスはアンティステネスの弟子であり、キュニコス派の質素で貧しい暮らしを徹底的に実行し、キュニコス派という新たなジャンルを印象付けた代表的な人物である。彼は現代では考えられない生活をしており、樽を寝床にして生活していたとされている(そもそも樽はワインを貯蔵するための道具で、人が住めるような空間とは思えないのだが)。常に同じ服を身にまとい、所持品はほぼ何もなく、必要な食べ物や生活用品は物乞いでもらって生活していたとされている。彼はその変人ぶりから多数のエピソードがあり、アレクサンドロス大王がディオゲネスに何か望みはあるかと聞いたところ、ディオゲネスは「日陰にならないようそこをどいてくれ」と返答した(これもなぜ大王がディオゲネスを訪ねたのか不明である)。他にも明るい昼間からランプを灯して街を歩き、何をしているか聞かれたところディオゲネスは「正直な人間を探している」と答えたり、皮肉たっぷりな人物であった。普通に考えればあまり関わりたくない人物だが、今でもこのような話が残っているということは彼の皮肉のある答弁のように何か惹きつけるような人間的魅力が彼にはあり、持たざる者でも自分の立場を気にすることなく意見を主張できることを証明した。

このように、キュニコス派の哲学はソクラテスの教えを頭で理解するのではなく、行動として実践することに重きをおいた哲学である。そして、キュニコス派の実践する哲学というのを引き継いだのがストア派の哲学である。ストア派の哲学は理論と実践の両方をバランスよく取り入れて、富や名声を持っていてもいなくても、誰でも実践できるように形にし、マルクス・アウレリウスはローマ皇帝という最高権力者でありながらストア派の教えを実践していたのである。

(Part2へと続きます。)

作者:中村 龍
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