#20 村上龍さんを追悼して

村上龍さんの死去

2026年10月23日、私にとって衝撃のニュースがあった。作家の村上龍さんが亡くなった。第一報を知らせたのは出版社の幻冬舎からで、幻冬舎といえば見城徹社長で、見城社長と村上龍さんは昔からの仲であり、幻冬舎を創業した元年に村上龍さんの『五分後の世界』を出版している。村上龍さんが亡くなったのは10月17日で、すでに家族葬も行われたとのことだ。村上龍さんの死去に際して、多くの著名の方から追悼の声が届いている。作詞家の秋元康、ジャパネットたかたの髙田明、カリスマ編集者の箕輪厚介、幻冬舎社長の見城徹、企業からはカンブリア宮殿のテレビ東京、認定NPO法人日本IDDMネットワークなど多数声が寄せられている。村上龍さんは生前に業界関係なく多くの方との親交があった。

私が村上龍さんを最後に見たのは2026年3月放送を最後に出演したカンブリア宮殿で、その時には滑舌が悪く話が聞き取りづらかったが、エネルギーはまだ健在だなという印象であった。番組の最後に編集後記という村上龍が番組収録を終えて思ったことを綴るコーナーがあるのだが、最後の編集後記のタイトルは「死&生」であった。内容は20年の番組収録で最も印象に残ったゲストの話で、割と最近のゲストの回で私はその収録を見ていなかったが、この「死&生」というタイトルに不思議な感覚を持った。「生と死」ではなく「死&生」である。悲しみが8割、希望が2割くらいを感じるタイトルであり、最後の編集後記にふさわしいと思った。

ちなみに、私が最も印象に残ったカンブリア宮殿は御殿場でレジャー施設を提供している時之栖の社長がゲストの回である。普段の収録では企業のVTRから始まり、村上龍からゲストに質問して進んでいくのだが、時之栖の回は社長から村上龍へ「村上さんは極楽を信じますか?」という質問から始まったのが印象に残っている。それから時之栖は気になっていて、いつか行ってみたいと思っている。他には、カンブリア宮殿のライブ収録回があって、オンエア版とは違い、カットなしで放送する回があった。ライブ収録を見て思ったのはゲストとの会話が意外に長かったことだ。オンエア版だとVTR8割、ゲストへの会話が2割くらいのイメージだが、ライブ収録はゲストとの会話が収録の半分くらいあった記憶で、オンエア版ではかなりカットされてんだなと感じた。

村上龍さんと言えば本業は作家である。普段本は読まないが、村上龍さんの著書は読んでいた。それは私の名前とゆかりがあり、半ば使命感を感じていた。村上龍さんの作品のジャンルは幅広く、どの作品も独自の世界観があって面白かった。私は『心はあなたのもとに』という恋愛小説を最初に読み始め、それから『海の向こうで戦争が始まる』『限りなく透明に近いブルー』『テニスボーイの憂鬱』『希望の国のエクソダス』『KYOKO』などたくさんの作品を読んだ。どれもiPhone標準のブックアプリで購入することができ、作品ごとにリッチコンテンツ(アニメーション)があって、電子書籍ならではの強みを活かした工夫があった。例えば『心はあなたのもとに』ではヒロインの女性とメールでやり取りするシーンがあるのだが、ブックアプリで読むとメールアイコン✉️が表示され、クリックすると本物のメールのようなアニメーションでメールを見ることができる。実物を見るのが一番わかりやすいのでこれはぜひ購入して確認してほしい。村上龍さんは電子本が提供され始めた初期から手を着けており、2010年に『歌うクジラ』をiPad版でリリースし、新しいことに挑戦していく人でもあった。ブックアプリで提供していない作品は紙の本で購入した。『愛と幻想のファシズム』『コインロッカーベイビーズ』『最後の家族』『五分後の世界』『ヒュウガ・ウイルス』『オーディション』などを読んだ。長編小説だけでなく、短編集やエッセイも多数あり、購読した。私の中で代表的な作家といえば村上龍であった。

村上龍さんが残したもの

村上龍さんの作品にはどの作品もメッセージ性があり、それを作品を通じてわかりやすく読者に伝えてくれた。よく村上春樹さんと比べられるが、村上龍さんはオブラートに包まずストレートに表現し、身動きが取りづらい現状をどう打破していくかを考え、ときには身も蓋もなく厳しくもあり、かといって突き放さない優しさも感じられる印象を受けた。いくつか作品の中から引用したい。

この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。

『希望の国のエクソダス』より

上記は希望の国のエクソダスの有名なシーンである。ポンちゃんという青年が中学生の中でカリスマ的存在として崇められ、ポンちゃんを中心に全国の中学生がインターネットを活用して強大なネットワークを構築し、ついには政府も動き出す事態になる。ポンちゃんは政府に効果的に訴えるために、NHKの国会中継をジャックし、そして中学生を代表してスピーチを始め、その冒頭の言葉が上記の言葉である。希望の国のエクソダスは2000年に出版されたが、それから26年後の今の日本においても、希望を持てる国になっているだろうか。まだこの問いかけは生き続けている気がするのである。

次に下記の言葉を引用したい。

親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです

『最後の家族』より

『最後の家族』は訳あり家族の話で、引きこもりの息子がご近所で気になる人ができて、どうにかして助けたいということを引きこもり支援のお医者さんに訴えると、お医者さんは上記のとおり答えたのだ。誰かを救うということはその人に対して手を差し伸べるだけでなく、自分が自立した姿を見せることが大切ということを最後の家族からは学んだ。

最後に、次の言葉を引用したい。

奴隷は楽だからだ、奴隷は自分で考えなくてもいい、自分で決定しなくてもいい、他人から言われたことをやるだけでいいんだ、他人から欲望を与えられて従う、すごく楽な生きかたなんだ。

『愛と幻想のファシズム』より

愛と幻想のファシズムの一説である。主人公トウジは停滞している日本の状況に嫌気がさし、強い日本に変えるための政治結社(狩猟社)を立ち上げ、カリスマ的存在として人気を集めるようになる。不況だったことも味方して、狩猟社は正式に国政政党になり、そしてその後も勢力を伸ばし、ついには実権を把握するポジションまで登りつめる。トウジの主張は簡単にいうとサバンナのように弱肉強食の世界があるべき姿で、人はみな平等で尊重すべきという発想は間違っているという。強い奴が生き残り弱い奴が死ぬ。弱い奴が生き残る世界は歪んでいる、だから治さなくてはならないというとんでもない理論である。弱いやつというのは具体的に奴隷をあげており、奴隷のような生き方をする人がいる理由を説明したシーンが上記である。他人から言われたことをやるだけなら簡単。しかし、そこに本人の意思はない。意思のない生き方をしていないか。トウジのこの警告が、今でも胸に刻まれている。

村上龍さんの表現の仕方は私の理想であり、私が普段仕事や生活で何かを伝えるときは村上龍さんの表現をイメージしているところがある。仕事では事実と自分の考えや推測は分けて説明する必要があるので、冷静に事実だけを述べて、その後私の見解を淡々と述べるみたいなやり方は村上龍さんを参考にしている。無意識のうちに脚色して事実から乖離した内容になっていないかという点検もするようになった。

村上龍さんの作品は私が経験したことのない新たな気づきを与えてくれた。しかし、村上龍さんの作品は5年前くらいから読まなくなってしまった。そもそも読書自体あまりしなくなってしまった。最近ドパガキという言葉が流行しているように私もXやYouTubeの動画をたくさん見ることになれてしまい、本を集中して読めなくなってしまっている。あまり良くないことだと思っているが、やる気のないものを頑張ろうとしても疲れるだけなので、開き直っている状況である。それに、文章を読める人が少なくなっているという投稿をよく見るが、私だけでなく多くの人が短時間のコンテンツを大量に消費するようになってきている。さらにはAIの登場で何でもAIが教えてくれる時代では文学に触れる機会がますますなくなり、そして文学の力は失っていくのは仕方ないだろう。

しかし、文学が簡単に消えることはない。文学の歴史は長く、日本最古の物語とされる竹取物語は平安時代から始まり、明治時代からは文豪と言われる人たちが活躍し、そして村上龍さんもその1人である。作家は死なずただ立ち去るのみ。村上龍さんが最後のカンブリア宮殿で残した言葉である。村上龍さんの作品は私の中に確実に生きている。村上龍さんの精神を引き継ぎ、私も微力ながらこれからもコラムという形で文学に貢献したいと考えている。

作者:中村 龍
ホームページ:https://www.ryu-nakamura.com/